練馬区の発展に大きく貢献した鉄道ネットワーク

練馬区の成り立ち

1-2練馬区の発展に大きく貢献した鉄道ネットワーク

1914年(大正3年)に東上鉄道(現・東武東上)が開業し、1915年(大正4年)の武蔵野鉄道(現・西武池袋線)の開業を契機に練馬のまちづくりが始まりました。その後、西武村山線、西武豊島線、東京メトロ有楽稜線、西武有楽町線、都営大江戸線がそれぞれ開業されました。

〇大泉学園都市の開業が計画されました。
(当社最寄駅ですので大泉学園と聞くだけで気になってしまいます)
〇大正期の練馬は農地が大半を占めましたが、練馬駅周辺など徐々に住宅も建っていきます。
(これが始まりなのか?練馬大根は有名ですよね!)
〇東武東上線の駅数が少なく、東武練馬駅も徐々につくられます。
(東上線の方が先に開業とは私も知りませんでした)

上記詳細は住環境BOOKにて
大日本帝国帝国陸地測量部 大正10年測量、昭和4年発行「東京西北部」を掲載しています。

〇武蔵野鉄道では電化後、駅数が増やされ練馬の発展に大きく影響しました。
(現状どこの駅とは言いませんが近すぎる駅間の駅がありますよね)
〇現在の向山3丁目で、城南田園住宅という住宅地が計画され、組合も結成されました。
(今では向山3丁目は我々不動産業としては建築協定で耳にする地域です)

 

下記詳細は住環境BOOKにて
国土地理院 平成16年7月1日発行「東京西北部」を掲載をしています。

〇大規模開発が行われた光が丘、北部は公園に、南部は住宅地に整備されました。
(光が丘団地は全国的にも有名ですよね!)
〇2016年度現在、区内の駅の乗降客トップ3は1位・小竹向原駅、2位・練馬駅、3位・大泉学園駅となっています。
(まさか駅の規模からは想像つかない小竹向原駅がトップです。その後の副都心線の影響も大きいですね。
そして当社最寄駅の大泉学園駅も3位に食い込んでおります)

住めば都

私は地元が中野区です。
それも渋谷よりなので、練馬区はあまりなじみがない環境でした。

中学校を卒業すると色々な地域の友人もでき色々な地域に遊びにも行きました。
不動産業界に入ってからは、さいたま市で売買仲介もしており住まいもさいたま市でした。

住めば都と言いますが本当に不思議です。
中野区に住んでいた時は中野区が一番、さいたま市に住んでいた時はさいたま市が一番
そして今は練馬区在住なのですが、練馬区が一番だと感じております。
(子育て世代には福祉の充実で人気があるのが練馬区です)

どこの地域にも良いところ悪いところはありますが
本当に住めば都とはよく言ったもので良さを感じるものです。

良いと感じてしまった以上、一層練馬区という地域に根付いた情報提供をしていきたいと思います。

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