こんにちは、売買スタッフの高橋です。
本日は最初に投稿するべき話でしたが「当社社長の金子徳公」との出会いを書きます。
時はさかのぼり35年前の春からになります。
まだ昭和後期に当時は「中野区立第一中学校」略して「一中」からになります。
小学校は隣同士でしたが一中から現在に至るまでの付合いです。
自慢になりませんが私は小学校6年生から背が伸びておらず
168㎝で当時は高い方で未だにキープしておりますが金子は小さい方でした。
1年生の頃から私はヤンチャで友達もそんなのばっかりでしたが
「その悪友のうちの1人が金子です。」
悪いことには進んでやっては怒られたりしましたが
金子は今思えば昔から芯が通っている性格で悪いこともダメと思えばやらずに
普通?の友達などとも楽しく遊んでいました。
私も似たような感じでしたが悪いことは後悔するまで通してしまう
ある意味、乗りやすく回りが見えてない性格でした。
結果、お互いに楽しく過ごしたので高校は金子は中の上、
私は行く高校がなかったのでアメリカへ(;;)
そして卒業後もお互い年に1,2回会って飲みに行ったりして
金子が1年で高校を辞めて私も1年で帰国して定時制高校に入りました。
その後、事実は最近知りましたが金子も
「宅建を取るのに高校卒業資格が必要」ということで
その1年後に同じ定時制高校の門を叩いて
共に高校一年生からやり直しになりました。
(私は何故か1年前からその高校にいたのですがなぜか同じ1年生でした)
クラスは隣りでしたが、また金子と
「その後4年間学びました。(遊びが正解かも)」
私は単車で金子は原チャリか真っ赤な車で登校して車を大切にしていたのを
覚えています。(原則、バイク・車での登下校は厳禁でしたが)
※高校1年ですが齢は18歳なので免許持っていましたよ
金子は芯が強く目標のため夜は洗車場で一生懸命仕事をして
学校にいる時は休み時間など私達と一緒に学校を抜出しては
タバコを吸いにいったりと楽しい会話をしていましたね♪
私も朝はスーパーで夜はカラオケで朝方までバイトをしていたのですが
カラオケというのもあり悪友たちがよく遊びに来ていました。
その当時はカラオケが流行り始めた頃で金子とはカラオケに行っては
少年隊の歌を2人で熱唱していたのを覚えています。(少し前も一緒に歌った記憶が…)
そして高校卒業後、互いの道を歩んで行き私は「介護員」やら「検査会社」やら
「電動工具の営業」と特殊な業界へいき
金子は不動産の道へと行ったのです。
卒業後も地元は一緒なので年に1,2回は会っていましたね♬
そして48歳になった冬に仕事の退職を機に将来のことを真剣に考えたところ
「不動産なら齢をとっても体を動かさず知識と対応でやれるかも?」と
甘い考えで思い、それを金子社長に話したところ拾ってくれたのです。
現実は想像を超えての知識が必要で0から覚えるのは48歳には辛いですが
金子社長の隣で真剣に頑張っています。
「社長が友達で上司」と複雑で難しいと思う方もいらっしゃると思うのですが、
一緒に仕事をしていて気は使うけど嫌じゃないのです。
多分、他の悪友が上司だと「自分と比べて大差ない」と思い
嫌かもしれないけど、金子の昔からの芯の太さを見てきてるのと
彼の今までの成功を見てきたためか「仕事に関しては尊敬してる」
ので苦じゃないんですよ!
私も甘えないように言われたことを理解するように努めていますが
内輪話し等は普通に敬語なしで笑っています。
もしかすると年月が過ぎれば色々衝突は出てくるかもしれませんが
それはどこの会社にいたって会社や上司の不満は出てきますが
金子とはいい意味での衝突というより理解を求めての話ができると思っています。
このハウジングサクセスの皆様に迷惑かけないようレベルアップをして
それから拾ってくれた「金子に恩を返したいと思っています?」(照れ隠しです)
今回のブログを思い出しながら記載していると昔を思い出して楽しいのと
「大人になった金子と自分」がこれからも一緒に苦楽を共にしていくことに
安心というか希望を持っていける気がする今日この頃でした。